柴園は醋庫巷44號に位置し、1982年に蘇州市の文物保護部門に指定されている。
ここはもともと清の道光の頃には潘曾琦の邸宅の庭園であったところである。光緒年間に、浙江省上虞の柴安圃がそれを買い取り、拡充工事を行い、柴園と呼ぶようになった。庭園內の東側は住宅で、西側は庭園である。庭園の前には鴛鴦庁があり、広くて豪華である。後ろにはナンボクでつくった広間があり、典雅で素樸である。庭園は4つの部分からなり、中園がもっともすばらしい、といわれている。池の水は透き通っており、船形の広間が整然しており、山と石が合理的に配置され、丘と谷が自然に形成されている。抗日戦爭ぼっ発後、この庭園は民家として使われるようになった。50年代には、蘇州市南區人民政府の執務地として使われたこともあった。1957年以後、學校の用地として使われていた。1978年に池を取り壊し、3階建ての教學ビルを建てた。1985年に蘇州市の文物管理委員會、民政局が共同で出資して鴛鴦庁、船庁を修復した。
柴園は現存面積が2150平方?で、鴛鴦庁、船庁、あずまや、曲廊、半亭、築山、池、花と木々などが殘されている。東側の住宅は広間と真中の樓閣が殘っているだけである。樓閣の前の門には怡園のあるじであった顧文彬が題した「嘉門善祥」の額がある。
「チャイナネット」2002年2月9日