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內蒙古通遼で遼代の州城とみられる遺跡発見

內蒙古通遼で遼代の州城とみられる遺跡発見。

タグ: 內蒙古自治區,古城遺跡,文化財

発信時間: 2011-07-30 13:55:47 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

內蒙古自治區通遼市ホルチン區で面積約6萬4000平方メートルの古城遺跡が見つかり、専門家は、800~1000年前の遼代(西暦916~1125年)の州城とみている。

ホルチン區文化局文化財調査チームが2009年9月、全國第3回文化財調査期間中のフィールド調査で、莫力廟ソム(郷に相當)の福巨ガチャ(村に相當)の北約3キロのところで遺跡を発見した。初歩的調査では、遺跡は東西約2100メートル、南北約300メートルで、面積が約6萬4000平方メートルある。

自治區の文化財擔當部局が専門家チームを派遣して調査したところ、古城內で建物の大量の遺構と鉄鍋、石臼、車具、犂、鉄製サン(金+産)(いたがね)、宋代の貨幣、鮮卑族の陶磁器片などが見つかり、遺跡の東では寺院跡も見つかった。今年4月、福巨ガチャの村民が整地をしていた際、遺跡の東部でレンガ窯跡を発見した。遺跡は新開河と西遼河に挾まれた砂丘に位置し、砂丘では陶磁器や土器の多くの破片があちこちで見つかり、その中には深緑色の釉薬がかけられた遼代の細長い形の鶏腿瓶の破片もあった。

専門家チームは先ごろGPSを使った調査で遺跡の南に多くの網目狀になった地域のあることを発見した。これは壁を築いて區域を分けていたもので、この遺跡は中心の集落だったと判斷される。小高い砂丘で幅35センチの瓦片が見つかった。専門家の推測では、覆われている層の下の建築物は規模が非常に大きいものだったはずで、役所が置かれていた可能性が高く、長い年月の風砂による浸食で、建物は砂に埋まり、現在の砂丘になった。

「この遺跡は規模が非常に大きく、遼代の州城だったと推測できる」、調査に參加した內蒙古民族學院歴史學院の教授で、遼史の専門家である李鵬氏はこう述べ、さらに次のように続けた。具體的に遼のどの州の城なのかは詳しい調査を行う必要がある。この遺跡の発見は遼代と遼代以前の北方少數民族の歴史、文明の発展の程度を研究するうえで重要な意義がある。

通遼地區で古城遺跡が発見されたのは今回が初めて。現在、遺跡のかつての様子、人口、どのような重大な出來事があったか、どうして消滅したのかなどについては、専門家による調査を待つ必要がある。

(新華網日本語=中國通信社)

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