6月2日、両晉時(shí)期の排水溝の処理作業(yè)を行う作業(yè)員
成都文物考古研究所は6月4日、數(shù)カ月にわたる発掘を経て、市中心部で見つかった福感寺遺跡で、文獻(xiàn)資料にしかなかった益州(成都)名寺がついに姿を現(xiàn)したと発表した。
東晉から両宋まで続いた福感寺は益州名寺で、高僧が駐留していた。唐代末から宋代初期、數(shù)回の大戦亂により福感寺は衰退していった。今回の考古発掘の責(zé)任者で成都文物考古研究所副研究員の易立氏によると、現(xiàn)在の発掘現(xiàn)場(chǎng)は福感寺の一部に過ぎないが、すでに塔腳、住居跡、井戸、道路、溝などが見つかった。また、1000點(diǎn)以上の『金剛経』、『妙法蓮華経』、『仏頂尊勝陀羅尼経』などが刻まれた仏教経典の経版、500~600體の仏、菩薩、羅漢、天王、伎楽などの石像の破片、大量のコップ、皿、器、杯などの陶磁器も出土した。
「中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)」 2017年6月5日