もともとは川にちょっと橫になりたいと思っただけで、大海原に足を踏み入れるとは思ってもいなかった、と陸川は話す。
「この事の深さと敏感度を軽く見ていた」。彼は記者のインタービューに応じた際、こう語った。「この事」とは、映畫『南京!南京!』の撮影のことだ。
陸川監(jiān)督
どの監(jiān)督にとっても、南京大虐殺はおよそ扱いにくい題材だろう。今も數(shù)知れぬ中國人が心痛めている歴史であり、中日関係で敏感な點でもある。
「最初の考えは非常に簡単で、つまり、中國人が侵略に抵抗した映畫を撮りたいと思った」。38歳の陸川は南京で4年間、軍事學(xué)校に通ったことがある。
思いが芽生えてから制作を終えるまで、『南京!南京!』は4年を費やした。その4年の間、腳本は陸川が絶えず修正し、映畫も侵略に対する抵抗から戦爭、人間性に対する模索へと昇華していった。
このモノクロ畫面の映畫で陸川は、中國の軍人や一般庶民、ごく普通の日本人兵士?角川といった異なる人物の視點から南京大虐殺を描いた。この若い日本の軍人は入隊前、軍事學(xué)校の學(xué)生だったが、戦爭の血腥さと殺戮を目にし、自ら命を絶つことを選ぶ。
だが、こうした角度は一部で議論を呼んだ。批判的な人は、こうした多くの要素を用いて日本兵の「人間としての一面」を描いたことをいぶかしく思っている。
「意味を持たせすぎだ。日本人の當(dāng)時の罪業(yè)は、この殘忍さに比べたらずっとずっとひどかった。とくに角川のような人物は、受け入れられん」。大虐殺の生存者で、87歳の趙振剛は南京で行われた映畫會の後、こう語った。「恐らく、陸川はまだ若すぎるのだろう、われわれの當(dāng)時の気持ちは理解できん」
疑問に対し、陸川は、この映畫を通じて戦爭における人間の本性と考え方を模索したいと考え、日本人兵士を人間として描いたのは必要な敘事的な手段だ、と説明する。
陸川は言う。「われわれは過去、ほぼずっと大虐殺の事実を涙ながらに訴え続け、日本兵を妖怪変化に仕立てることを習(xí)慣としてきた。こうした映畫をわれわれは60年にもわたり撮ってきたが、世界に影響を與えたり、南京大虐殺というこの事件に対する世界の認識にも影響を與えたりはしなかった。今後も彼らを妖怪変化に仕立てるのは無益だ」
各地で相次ぎ開かれているプレミアム上映會で、角川役を演じた日本の俳優(yōu)?中泉英雄はメディアの関心を集めた。記者の質(zhì)問への答えは簡潔、慎重だった。
彼は、角川は度胸の小さい、きめ細かな、良識ある人物だ、と話す。この映畫への出演は家族や友人からも支持され、國內(nèi)ではどんな圧力も感じなかった、という。
この映畫は日本での上映は難しいのでは、との問題について、中泉は回答を留保。だが陸川は、必ず日本で上映するとの考えを強調(diào)。日本の発行者との連絡(luò)はスムーズでなく、かなり厳しいと率直に語った。「でも、どんなことがあっても、日本の発行側(cè)に送る。われわれも努力しなければ」
過去の作品『尋槍(銃を求めて)』や『可可西里(ココシリ)』に比べ、『南京!南京!』の撮影は一番つらなかった、と陸川。この4年というもの毎日、大虐殺関連の資料に浸り、心労重なり、「生、死に如かず」と感じることもあったという。
「次は、リラックスした題材の映畫を撮りたいと考えている。生活は非常に多面的なので、一生、苦しみの中に浸っていたいとは思わない」
(文中敬稱略)
「チャイナネット」2009年4月20日
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