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中國には3度目の?日本に學(xué)べ?ブームが必要 |
発信時(shí)間: 2009-01-16 | チャイナネット |
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文:庚欣?日本JCC新日本研究所副所長 ■學(xué)習(xí)上手は自信の表れ 中國の30年間の改革開放が巨大な成果を得られたのは、外國の経験を謙虛に學(xué)んだことと密接な関係がある。だが金融危機(jī)によって私たちは、歐米の発展理念や制度のいくつかが、中國のニーズには決して適さないことを目の當(dāng)たりにした。もし中國が將來の発展において、より選択的に外國から學(xué)ぶ必要があるとすれば、主たる目標(biāo)は依然として日本であるはずだ。私たちには3度目の「日本に學(xué)べ」ブームが必要だ。
中國人は過去2回、日本に學(xué)んだ経験がある。最初は100年前、甲午戦爭(日清戦爭)に失敗した後だ。中國人は恥じ入って果敢に敵を師と仰ぎ、その後、日本語の「外來」新概念が四書五経の言葉を圧倒した。辛亥革命、五四運(yùn)動、國共両黨を主導(dǎo)した先駆者の大部分は、これら新概念の実踐者だった。次は30年前だ。障?小平氏が日本を訪問して、オートメーションを體験し、新幹線に乗車して高速を體感したことで、「日本に學(xué)べ」ブームが國內(nèi)に沸き起こり、日本の技術(shù)は「現(xiàn)代化」の別名とすらなった。
だが、これら2度の學(xué)習(xí)には、遺憾な點(diǎn)もあった。最初の學(xué)習(xí)では、多くの人が日本は「小西洋」で、「西洋の學(xué)問の東漸」の「道具」にしか過ぎぬと見なした。2回目の學(xué)習(xí)では、多くの人が日本は「経済の巨人」で、「技術(shù)と管理」の「育成訓(xùn)練班」にしか過ぎぬとみなした。「道具論」と「技術(shù)論」は、あたかも2枚の葉が目を遮るように、私たちの日本社會全體、特に人と文化の面への関心に影を落とした。
日本は後発の東洋の島國で、20世紀(jì)初頭に30年で「列強(qiáng)」の列に加わった。第2次世界大戦で失敗した後も、わずか20年余りで歐州諸國を抜き、世界第2の経済大國に上り詰めた。一方私たちは、日本より優(yōu)れた「ハードウェア」を持ち、30年間の高度成長を経たが、日本などの先進(jìn)國との間になお相當(dāng)大きな開きがある。この點(diǎn)だけでも、謙虛に學(xué)ぶ必要がある。過去2回の日本學(xué)習(xí)は情勢に迫られてのものだったが、今日も依然としてそのままだ。世界の大変動、歐米モデルのボトルネック、私たち自身の発展上の困難、そのいずれもが、さらに高く、さらに全面的な視野で再び日本に學(xué)ぶことを、私たちに迫っている。中國には現(xiàn)在、真剣に経験を総括することが求められている。そしてそれにも増して、日本との開きを探り當(dāng)て、追い越すことが求められている。結(jié)局のところ、學(xué)習(xí)上手は自信の表れでもあるのだ。 |
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