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大切なものを忘れていた私 |
発信時間: 2010-02-25 | チャイナネット |
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私はいま、日本と中國両國の愛情の中で生きています。それをかみしめて毎日、中國での人生を謳歌しています。 朝6時すぎから図書館に並ぶ學(xué)生の姿、學(xué)問に対するひたむきな姿勢、學(xué)友同士助けあい、高めあう関係。このような學(xué)風(fēng)の下、國費で好きな勉強をさせていただき、家族も応援してくれ、先生や友人にも恵まれ、毎日が本當(dāng)に幸せです。 私が中國に來て學(xué)んだこと、それは「人が一番の財産」ということです。 魯迅の作品『藤野先生』(竹內(nèi)好訳)には、師に対する思いがこう記されています。 「彼の私にたいする熱心な希望と、倦まぬ教訓(xùn)とは、小にしては中國のためであり、中國に新しい醫(yī)學(xué)の生まれることを希望することである。大にしては學(xué)術(shù)のためであり、新しい醫(yī)學(xué)の中國へ伝わることを希望することである」 あの時代にあって國家や民族、文化を超えて學(xué)問を伝えたいという一念が通じ、「師弟愛」という深い絆で結(jié)ばれたのではないでしょうか。 時代を超えていまもなお、その心は生き続けています。私の指導(dǎo)教官である劉春田教授も時間や労苦を惜しむことなく、時に厳しく、時に優(yōu)しく、指導(dǎo)して下さいます。 お恥ずかしい話ですが、先日私は、先生の授業(yè)に15分、遅刻してしまい、「一時間外で立っていなさい」とお叱りを受けました。しかし先生は、そうは言ったものの許してくださり、普段通り授業(yè)を受けることができました。時間や學(xué)問、人に対してもなおざりであった私を、本當(dāng)に思っているからこそ叱責(zé)されたのだと、非常にありがたく思っています。 中國の友人からは、人として大切なことを多く學(xué)びました。 昨年、私の叔父が日本から來た時の話です。友人の學(xué)生が、ぜひご挨拶をしたいと言うので、私と叔父二人でその友人の學(xué)生寮に行きました。すると、スーツを著て待っているのです。友人はこう言いました。「いま私は學(xué)生で、お金もないので、何もご馳走できません。いまの自分が精一杯できるおもてなしは、正裝をしてお迎えすることです」と。 「人を敬い、禮をつくす」。人として一番大切なものを忘れていた自分に気付かされ、反省するとともに非常に感激させられました。孔子の教えは今もなお生き続けているのだと痛感しました。中國の人たちは、私が忘れかけていた大切なものを、言葉で、行動で、背中で教えてくれました。 日本と中國は昔から、「愛」「仁」「禮」などを脈々と受け継ぎ、それが今も生き続けています。私たちはそれを後世にまで伝えてゆく必要があるのではないでしょうか。 おすすめスポット 日本人公墓 ハルビン市より東へ200キロに位置する方正県にある中國で唯一の日本人公墓。約5000人の日本人が祀られています。戦爭の傷が癒えていない1963年、日中國交回復(fù)の10年ほど前に、周恩來総理が建立を許可され、今も守り継がれています。 「人民中國インターネット版」より 2010年2月25日 |
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