日本が敗戦したあと資料が壊滅的に散失したため、731部隊に関する完全な情報の収集は、歴史研究家による根気強い整理に頼るしかなかった。731部隊の設備が果たしてどのようなものだったのか、今に至るまで確証を持って言える事実はなく、現(xiàn)存する痕跡から當時の規(guī)模の壯大さを垣間見ることができるに過ぎない。
日本軍731細菌部隊特別実験場の遺跡
日本軍731部隊遺跡
731の周辺施設は現(xiàn)在まで保存されており、一般にも開放されている。參観客に開放されている731基地のうちの一つは600ヘクタールを占め、150余りの建築物からなる。施設の設計が精密だったため、痕跡が消えにくいのである。
基地は様々な生産設備があった。約4500のノミの飼育容器や、各種化學物質を作る6つのボイラー、約1800の生物薬剤の容器があり、これは數日のうちに約30グラムの腺ペストを作り出すことができた。
これら數十トンの生物兵器(および化學兵器)は戦爭期間中を通して中國東北の多くの場所で保存されていた。このため、現(xiàn)在でも地元住民に害を及ぼすことがある。
そして1945年8月、撤退の際に731部隊は現(xiàn)地の主要な実験設備を爆破し、罪狀隠滅を図った。