競爭が激化する中國市場で、多くの日本企業が苦戦を強いられていると聞く。そんな日本企業の中國進出を様々な面からサポートし、経営における課題を共に解決していくのが、経営コンサルタントである川崎貴聖さんの仕事だ。
日本のコンサルティング會社?コーポレイトディレクションで働いていた川崎さんは08年、中國事業立ち上げのため単身中國へわたった。現在は中國法人の社長兼コンサルタントとして活躍する川崎さんに、立ち上げの苦労話から、中國市場で奮闘する日本企業についてまで、様々なことを伺った。
川崎さん自ら必要性を訴え、2008年に中國事業を立ち上げられたそうですが、當時、會社にとって中國事業が必要だと思った理由は?
中國事業を立ち上げようと思った理由は2つありました。1つは、日系企業が中國に「市場」を求める時代が近いうちに到來すると予測したからです。
弊社コーポレイトディレクション(以下、CDI)は日系企業を主要顧客としていますが、クライアント様が中國市場への進出や中國市場での事業拡大で悩む際に、それを支援する體制を整えておく必要があると感じていました。「中國ビジネスの支援はできません」、とは言えないと思ったわけです。
2つ目の理由は、私個人が中華圏に対して尋常ならぬ興味を持っていたからです。中華の思想、文化、歴史、言語が當時から好きでして、それと仕事がなんとか結びつかないものかと考えていました。「好きこそ物の上手なれ」という諺がありますが、それを実現できればどんなに幸せかと思ったわけです。
當時、どのように社內を説得したのでしょうか?
當時の私は28歳でした。一般的には會社の経営に口を出せる年齢?立場にはありません。しかし、このタイミングで自分達の會社を動かしておかないと、10年-20年先のCDIが「あの時、何故中國ビジネスを始めなかったのか」と後悔する気がとてもしました。また、個人の興味と仕事がリンクする、という夢に対してチャレンジせずに諦めるのももったいないと思っていました。結局のところ、使命感と好奇心が、年齢や立場といったものを忘れさせ、自分を突き動かしていたのだと思います。
社內を動かすことについては意外とスムーズでした。パートナーからスタッフまで中國法人を作ることに前向きでした。また、當時私が手掛けていた中國市場參入のプロジェクトのクライアント様から、「參入後も中國で支援して欲しい」とおっしゃっていただけました。そのような運も手伝い、進出の障害は殆ど何もありませんでした。
2008年度新人歓迎會集合寫真。川崎さんが日本オフィスに出社した最後の日の集合寫真です。
お一人で中國で會社を立ち上げられたときのエピソードを教えてください。
中國に駐在して3ヶ月間は完全に1人でして、本當に目まぐるしい日々でした。會社を設立しながら、目の前のプロジェクトの実行、営業活動、生活面で毎日生じるトラブルへの対処に追われていました。しかも、前例があればそれに倣うことができるのですが、社內では誰も経験したことがないので、自分で情報収集して判斷して道を切り開いていくしかありませんでした。これらを異國の地で1人でやり切るのはなかなか苦労しました。
しかし、最も大変だったのは孤獨との戦いです。オフィスにぽつんと1人で仕事していた時の気持ちは今でも良く覚えています。オフィスにいると孤獨を感じるので、時間が許す限り、しょっちゅう上海の街を散歩して気を紛らわしていました。しかし、3ヶ月経ち、新しいメンバーが來た時にこの狀況は変わりました。仲間がいるということ自體に感謝しなくてはならないと強く感じました。現在は當時と比べて人も増え、中國オフィスの環境は大きく変わりました。あの原風景が、まるで遙か昔の出來事のようです。