「今こそ、記者は第一線(xiàn)に立つべき
地震発生後、中國(guó)メディアの友人からも、日本へ取材に行きたいという多くの電話(huà)を受けた。取材を受ける側(cè)の紹介や、彼らの宿泊先などを探しているうち、日本の友人である原英次郎氏とも連絡(luò)がついた。私からの電話(huà)をうけ、彼はこう言った。「今こそ、記者は第一線(xiàn)に立つべきだ。」実はこの時(shí)、彼も一記者として働いており、私は非常に驚いた。
原英次郎氏は以前、伝統(tǒng)的に政治色の濃い『週刊東洋経済』の編集長(zhǎng)だった。原氏自身も強(qiáng)くその影響を受けていたのだが、數(shù)年前に辭職し、他の人と同じ道を選ばず、震災(zāi)の最中にネット上で文章を発表する記者となっていたのには驚いた。
原氏と初めて出會(huì)ったのは1993年、もう20年ほど前になる。私たちは同じ慶応大學(xué)の卒業(yè)生で、私が博士課程で彼は本科ではあったものの、専門(mén)は同じ経済、しかも同じ先生の教えを受けていたこともあり、ごく自然に親しくなっていった。
彼と初めて會(huì)ったとき、すぐに個(gè)性的な人だと思った。その時(shí)、彼はチェック柄のシャツにGパンで走ってやってきた。日本では、正式な場(chǎng)での男性の服裝はスーツに白いシャツと決まっている。しかし、多くの人々の中で彼だけがチェック柄のシャツを身につけていた。だからこそ印象深く、とても自由な人なのだと感じた。數(shù)年前日本へ行った際に會(huì)った彼もやはりあの時(shí)のままで、スーツにネクタイはしていたものの、大きな白ぶちの眼鏡をかけ、個(gè)性的な格好をしていた。
日本で百年以上の歴史を持つほとんどのニュース報(bào)道の方法は、まず政府から情報(bào)を入手し、それをあれこれ評(píng)価したうえで、報(bào)道として公開(kāi)するというものである。原氏の方法はそれとは違い、日本の主要メディアが取材を行わないような専門(mén)家や比較的過(guò)激な観點(diǎn)を持つ人々を取材している。しかし、彼がそれなりの根拠や裏づけのもとで報(bào)道を行っていることを私は知っている。
彼の報(bào)道理念は、以前の日本メディアとは異質(zhì)のものである。今、彼はまた新しい方法で報(bào)道を行っている。それは、政府や大手のメディアに依存することなく、純粋に一ジャーナリストとして自身が取材した様々な情報(bào)を、責(zé)任を持って放送するというものである。これは、日本の元來(lái)の報(bào)道に対するある種の補(bǔ)足的內(nèi)容である。
日本國(guó)民が冷靜さを保ち続けていられるのは、このような記者や世論環(huán)境と深く関係していると言える。
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