自民黨の諸君は、しばしば戦後民主主義による個人主義が國民を結束させない元兇のごとくに批判するが、それもいうなら、自民黨的功利主義を振り回し、基本的人権の根源たる個人主義(ジコチューではない)の本旨を育てようとしなかったことをこそ反省しなければならない。
個人主義を批判するのは、敗戦までの國家主義に戻したいと表明しているのと同じである。かの國家主義下において、內外に殘酷な歴史を刻んでしまったことを意図的に無視したり、忘れるべきではない。
國家主義が好都合なのは一部の権力者である。圧倒的多數の國民にとって國家主義は全然不都合である。日本國憲法が押し付けられたものだとして、不都合に思う人は、よほどの歴史無知か、反民主主義者である。
押し付けを批判するのであれば、なにゆえ、そのような事態に立ち至ったかという歴史を直視するべきである。戦前天皇制において、本當に神様のような內政?外交を展開したのであろうか。そんなわけがない。
儲け主義の資本家と軍國主義思想に冒された軍部、事なかれ主義と出世主義を生きがいとする政治家?官僚らが、國民無視の好き放題をやった結果が、日本を崩壊の瀬戸際まで追い込んだのである。
日本國憲法は、殘念ながら、わが國民が民主主義を志向し、獲得すべく奮闘した結果として獲得したのではなかった。まったく戦爭によって、それも敗戦によって獲得したのである。
しかし、ここにこそ、われわれが日本國憲法に拘る最大の理由がある。戦爭から生まれた憲法は、徹底して戦爭(狀態)を排する。平和を志向して生きようという戦後日本人の再起の証である。