林芳正氏は先ほど日本の外相に就任すると、直ちに日中友好議員連盟の會長を辭任した。林氏は會長辭任の理由について、外相としての職務遂行に當たって「無用な誤解」を避けるためと述べた。しかし実際にはこれは自ら「親中派」のレッテルを剝がし、自民黨內及び日本國內の保守派全體の中國への強硬な姿勢に譲歩した形だ。(筆者?笪志剛黒竜江省社會科學院北東アジア研究所長、研究員、北東アジア戦略研究院首席専門家)
1人の「知中派」にこれほど急な対応を強いたことは、表面的には日本國內の右翼?保守派が中日関係の安定的な発展を促した林氏の「親中」な言行を懸念したかのように見えるが、実際には日本の政界を中心とする「親中派」もしくは「知中派」を窓際に追いやり、さらにはその方針を変更させるための見せしめだ。
先ほど行われた自民黨総裁選、その後の第49回衆院選において、日本の政界には「親中派」と「知中派」を一方的に排斥する流れが生じた。総裁選の立候補者は飽きもせず中國対抗について語り、右寄りの立候補者の支持率が上がった。衆院選では多くの保守派のメンバーが易易と當選した。岸田內閣はその後、中國を念頭に置く経済安全対策を発表した。また、改憲による規制緩和といった考え方が主流になり、何はばかることなく「先制攻撃」などの右寄りの発言が飛び出し、中國であれば何でも反対するといった主張が喝采を浴びた。これは直接的に親中派の日本の政界における影響力を微々たるものとし、知中派を日本社會で歓迎されなくした。中立と稱する経済界も人の顔色を伺い、親中派と
知中派が日本社會で腫れ物扱いされている。
それでは、これは日本の政治構造及び社會の流れにどのような影響を及ぼすだろうか。今後の動きは日本の一部の政治家と人々を失望させることだろう。歴史的にも現実的にも將來的にも、國際交流であっても國益であっても人々の福祉であっても、親中派を追い出し知中派を封じ込めるのは日本で短期的に一種のポリコレのようだが、中長期的に考えると日本をさらに孤立化させるかもしれず、危険をはらんでいる。
まず歴史の教訓から見ると、知中派は日本の軍事的に切羽詰まった行動を阻止する必要な存在になれなかった。甲午戦爭(日本名?日清戦爭)後、日本は絶えず周辺の隣國を侵略し、朝鮮を併呑し野蠻な中國侵略戦爭を発動しようとした。これは日本の臺頭、アジアにおける位置づけを客観的に認識する理性的な知中派が不足し、対中関係を正確に理解できる親中派が発言権を持たず、右翼勢力に奉仕する北一輝や大川周明などの過激な保守派が有利になったからだ。侵略戦爭の苦しみは日本に対して、知中の抑圧は日本の國運に影響を及ぼし、歪められた親中は日本の政治の溫度を下げることを教えている。
次に現実を見ると、知中派は日本の外交の偏りを防ぐバランサーでもる。中日國交回復に踏み切った田中角栄や大平正芳などの知中派の膽力と異なり、9年間に及ぶ安倍?菅政権は「積極的平和主義」の旗印を掲げ內政?外交のいわゆる突破を目指したが、親中派?知中派の政治家の揺るぎない姿勢とけん制により、日本は集団的自衛権の行使の完全な容認や憲法9條の改正などに踏み切れなかった。現実の経緯は日本に対して、戦略的な知中は日本の品格を作り、戦術的な知中も日本のイメージを上げることを教えている。
それから未來の方向を見ると、知中派は日本の保守的思想をけん制する清き流れだ。日本の政界で保守的思想が蔓延し、改憲が後には引けぬ情勢となり、國民の警戒が急激に強まるなか、親中派と知中派が日増しに衰える流れが形成されている。しかし知中派という安全弁、親中派というブースターがなくなれば、日本は対中関係で暴走、さらには手綱が外れた狀態に陥る。これは両國の健全で安定的で友好的な大局を損ねるばかりか、より広く日本の內政と外交に波及し、日本の一般人が最終的な悪い結果を受け入れることになるだろう。このような先行きは日本に対して、前向きな知中は「敵を知り己を知れば」の競爭を促進し、実務的な親中は隣國と付き合う基礎を固めると注意を促す。
現実はまた日本に対して、一國のもう一國への友好には、相手側の政治?知識エリートの存在への深い理解が必要であると教えている。少なくとも知中派の存在は大國の関係を処理し、前向きな競爭と協力を維持する上で大人の態度、正常な認識を保つために有利だ。未來はまた日本に対して、日本の政治が時代と共に進む必要があることを教えている。新舊交代は発展の法則であるが、これは知中派に圧力をかけ親中派を攻撃し、レッテルを貼り実現するものではない。
「中國網日本語版(チャイナネット)」2021年11月19日