中日両國> |
m.lbxysyl.com |14. 09. 2022 |
中日國交正常化の「原點(diǎn)」の回顧と思考
文=汪婉?中國社會科學(xué)院近代史研究所研究員
中日國交正常化からの50年の間に、中日関係は何度も困難を経験したが、全體的に平和?協(xié)力?発展の大筋を維持してきた。その成果は両國民に恩恵をもたらしただけでなく、アジア、ひいては世界の平和と繁栄にも貢獻(xiàn)してきた。真の平和と友好の関係を築くことは、1972年の中日共同聲明の原點(diǎn)である。
しかし、最近の國際情勢は大きく変化し、日本政府は米國に同調(diào)し中國牽制政策をとり、対中政策の消極的な面が浮き彫りとなっている。中日関係がどの道に進(jìn)むべきかの重要な正念場にあるこの時期、中日國交正常化の「原點(diǎn)」を振り返り、考えることは大きな意義を持つ。
臺灣問題は中日國交正常化の「原點(diǎn)」中の原點(diǎn)である。『中日共同聲明』は以下のように示している。「日本國政府は、中華人民共和國政府が中國の唯一の合法政府であることを承認(rèn)する」。「中華人民共和國政府は、臺灣が中華人民共和國の領(lǐng)土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本國政府は、この中華人民共和國政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項(xiàng)に基づく立場を堅(jiān)持する」。
臺灣問題について、私は程永華大使とともに日本で9年3カ月勤務(wù)した経験から、実例を挙げて見解を述べたいと思う。
2011年3月11日、東日本大震災(zāi)による津波と福島原発事故が発生し、中國人民は身に染みて感じ、當(dāng)時の胡錦濤國家主席は在中國日本國大使館を弔問し、直ちに中國國際救援隊(duì)を派遣した。日本と「志や価値観を同じくする」先進(jìn)國の大使館が次々と東京を撤退している時、中國大使館は撤退しないばかりか、數(shù)十臺の大型バスを被災(zāi)地の救援に向かわせた。
2011年4月12日、私は11カ國の女性大使と大使夫人からなる慰問団に參加し、福島原発から50キロの場所にある福島県郡山市の避難所を訪れ、2000人以上の被災(zāi)者をお見舞いした。巨大な體育館が避難所となっており、私は中國大使館を代表し避難所の子供たちに600個のパンダのぬいぐるみをプレゼントした。避難所にいる子供たちが笑顔で駆け寄ってきた場面は一生忘れない。放射線を浴びてでも來てよかったと思った。
5月、中國の溫家寶総理は日本を訪問し、宮城県と福島県の被災(zāi)地などを訪問し、被災(zāi)者の人々を見舞いした。中國大使館の提案により、避難所の子供たちにパンダのぬいぐるみをプレゼントした。
その後、日本政府は毎年3月11日に「東日本大震災(zāi)追悼式典」を行い、招かれた各國大使は獻(xiàn)花している。2012年、日本の民主黨政権は臺灣地區(qū)の代表事務(wù)所に招待を出したが、各國大使と違う取り扱いを手配した。2013年に自民黨政権になって以降、臺灣地區(qū)関係者と外交使節(jié)の取り扱いは同じになった。中國大使館は何度も交渉したが、実らなかった。2013年から、中國大使は追悼式に參加していない。
この件により、私は日本政府に深い不信感を持ち、『中日共同聲明』にある「日本國政府は、この中華人民共和國政府の立場を十分理解し、尊重し」という約束を軽率に破ることに、大変失望した。いま、日本の一部の政治家は「臺灣有事は日本有事」とわきめたて、日本の臺灣海峽介入を鼓吹している。これは日本自身を危険な境地に追いやり、中日関係を誤った道に向かわせることになる。
歴史問題も中日國交正常化の「原點(diǎn)」中の原點(diǎn)である。『中日共同聲明』は以下のように示した。「日本側(cè)は、過去において日本國が戦爭を通じて中國國民に重大な損害を與えたことについての責(zé)任を痛感し、深く反省する」。中日國交正常化50周年にあたり、私たちは両國関係が大いに発展したと評価すると同時に、両國関係が「何度も困難を経験し、波瀾に富んでいた」ことも指摘したい。これは、日本側(cè)の歴史認(rèn)識問題が大きな原因の一つになっている。1980年代から、日本の歴史教科書問題、一部の政治家による侵略戦爭を否認(rèn)する誤った発言、日本首相の靖國神社參拝など、中日関係をひどく損ない、両國民の友好関係を壊した。日本國內(nèi)の歴史教育は加害者意識を曖昧にし、被害者意識を際立たせている。
私が駐日中國大使夫人に勤めた頃、日本の學(xué)校から沢山の千羽鶴が大きな段ボール箱入りで送られてきた。全て學(xué)生たちが折ったもので、千羽鶴には「平和を祈る、中國は核兵器を廃除すべき」などと書かれていた。私は學(xué)校での講演によく招かれ、子供たちが日本は世界で唯一原爆被害を受けた國だと強(qiáng)調(diào)すると、私は「なぜ」と尋ねた。しかし、學(xué)生たちは答えられなかった。2013年以降、日本の首相は毎年8月15日の降伏日の演説に「加害」と「反省」の言葉がなく、歴史と誠実に向き合う勇気がなく、中日國交正常化の初心を忘れている。
『中日共同聲明』のもう1つの重要な原點(diǎn)は、「中日両國間には社會制度の相違があるにもかかわらず、両國は、平和友好関係を樹立すべきであり、また、樹立することが可能である。両國間の國交を正常化し、相互に善隣友好関係を発展させることは、両國國民の利益に合致するところであり、また、アジアにおける緊張緩和と世界の平和に貢獻(xiàn)するものである」。50年間の中日関係の発展は、このことが正確であることを事実で証明した。
しかし近年、日本政府は何事も「志を同じく、価値観を同じく」する基準(zhǔn)で判斷し、「民主主義対権威主義」をスローガンにしている。私は岸田文雄首相が今年6月26~30日にG7サミットとNATO首脳會合に出席した際のスピーチを精読した。岸田首相は口を開くと必ず「日本は価値観を同じくする國と手を取り合う必要がある」と述べ、「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない」とあちこちで吹聴している。岸田首相の上述発言は地域情勢を緊迫させ、『中日共同聲明』の「両國間の恒久的な平和友好関係を確立する」という原點(diǎn)と初心に背いている。日本側(cè)に、『中日平和友好條約』が明確に規(guī)定する平和と友好の義務(wù)、『中日共同宣言』の「両國間の平和友好関係を強(qiáng)固にし、発展させる」という內(nèi)容、4つ目の政治文書の「雙方は、互いに協(xié)力のパートナーであり、互いに脅威とならないことを確認(rèn)した。雙方は、互いの平和的な発展を支持することを改めて表明る」という重要な共通認(rèn)識を再度噛みしめてもらいたい。
最後に、孫中山(孫文)氏が1924年11月に神戸での演説で述べた言葉を借りて、「今後日本が世界文化の前途に対し、西洋覇道の鷹犬となるか、或は東洋王道の干城となるか」、これもって日本政府に対して、歴史の同じ失敗を繰り返さないよう戒めたい。
?中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)?2022年9月14日