中日両國> |
m.lbxysyl.com |28. 09. 2022 |
孫暁燕氏:父が中日友好に殘した財産
中國宋慶齢基金會孫平化日本學學術奨勵基金管理委員會委員 孫暁燕=文
私の父、孫平化は50年前、中日國交正常化の実現に向けた取り組みに深く攜わっていた。互いへの深い理解は中日関係の発展の土臺であり、學術研究が欠かせない手段だと父はずっと考えていた。そのため、より多くの中國人學者が日本學研究に身を投じるよう奨勵し、日本學學術奨勵基金の設立を望んでいた。
1990年代、中日友好協會の會長を務めた父は長年の各種の賞金や原稿料、講演料などを合わせて、100萬元近く蓄えた。當時の中國では、1萬元以上の貯金を持つ人さえまだ珍しかった。この100萬元は、夢を実現するに十分な「大金」だった。
96年、父は北京外國語大學日本學研究センターに寄付し、學術奨勵基金を設立するつもりだったが、當時の法律では、同センターが自ら基金を管理することはできなかった。
翌年、父の健康狀態がだいぶ悪化したため、私は父の代わりに中國宋慶齢基金會を訪れ、相談に乗ってもらった。すると向こうからすぐ傘下で特別基金の設立を許可するとの返事を得た。
97年8月5日、父は食事や起きることができなくなり、意識がもうろうとなった。宋慶齢基金會と北京外大日本學研究センター、公証役場の関係者たちが病室に駆け付け、共に公正証書の署名を行う中、父は踏ん張ってサインをしたが、「孫平化」のわずか3文字を書くのに20分もかかった。大の書道好きで、日本の友人たちにもよく字を贈っていた父のそのゆがんだサインは一生で最も「下手」な字だったが、最も心を揺さぶる絶筆でもあった。10日後の8月15日、父は亡くなった。
昨年4月1日、第9回「孫平化日本學學術奨勵基金」授賞式が北京で行われた。基金會主要メンバー、出席した來賓、受賞者による記念寫真(寫真提供?中國宋慶齢基金會)
9月26日、宋慶齢基金會は「孫平化日本學學術奨勵基金」の設立を発表した。11月、管理委員會が立ち上げられ、文化部の劉徳有元副部長が委員會主任を務めた。幸運なことに、私も委員の一人を務めさせてもらった。
孫平化基金は98年に、中國の研究機関で人文科學分野の研究をする50歳以下の學者の日本學研究成果を対象に、第1回の授賞式を行った。その後、2、3年に一度審査が行われてきた。この24年間、9回の審査が行われ、歴史?政治?経済?社會?文化?言語?文學の研究や學術分野の訳書など社會科學の複數の分野からの84件の成果に授賞した。受賞者のうち、學術界の専門家に成長した方も少なくない。
今年は中日國交正常化50周年。50年前、父が毛主席や周総理の指導の下、中日関係の改善と発展のために奔走していた。また、父が創設した孫平化基金も両國間の相互理解の増進に積極的な役割を果たしてきており、先達たちの中日友好に対する信念とささげた心血には深く感銘を受ける。後世の私たちは、先達の遺志を引き継ぎ、中日間の協力の手がよりしっかりと握られ、中日間の友好の心がより近づくよういっそう努力していくべきだ。