1972年2月、米ニクソン大統領は周恩來総理の招きを受けて中國を訪問、中米交流の扉が再び開かれた。ニクソン大統領訪中期間中の1972年2月28日、中米雙方は上海で「米中共同コミュニケ」(上海コミュニケ)を発表した。
1975年12月、米フォード大統領が訪中。1978年12月16日、中米両國は「中華人民共和國とアメリカ合衆國の外交関係樹立に関する共同コミュニケ」を発表した。1979年1月1日、中米両國は正式に大使級の外交関係を結び、米國は臺灣とのいわゆる「外交関係」を斷絶し、年內に臺灣駐留米軍を撤退させ、米臺の「共同防御條約」を終了させることを宣言した。
1979年1月、中國の指導者トウ小平氏が米カーター大統領の招きを受けて米國を訪れ、中米関係史の新たな一ページを開いた。1982年8月17日、両國政府は「中米共同コミュニケ」(八?一七コミュニケ)を発表、米國側は「臺灣への武器売卻を長期的政策として実施するつもりはないこと、臺灣に対する武器売卻は質的にも量的にも米中外交関係樹立以降の數年に供與されたもののレベルを越えないこと、及び臺灣に対する武器売卻を次第に減らしていき一定期間のうちに最終的解決に導くつもりであること」を表明した。中米のこれら3つの共同コミュニケ(上海コミュニケ、外交関係樹立に関する共同コミュニケ、八?一七コミュニケ)は、中米関係発展に向けた指導文書となった。新華網が伝えた。
「人民網日本語版」2011年1月21日