バーデン?ヴェルテンベルク州はドイツの西南部に位置し、工業が発展し、観光資源も豊富な場所で、ドイツ一の裕福な州である。ドイツ連邦共和國建國以來、州はずっとドイツキリスト教民主同盟(以下CDU)の支配下にあった。州首相のマップス氏は今回の選挙には十分な勝算があり、民生調査も彼には有利な結果で、続投は容易であるように思えた。
ドイツから遠く離れた日本、そこで発生した地震と津波による原発事故が、終わったばかりの選挙で、ドイツの伝統ある大政黨の運命を決定するとは誰も思っていなかった。
2週間前、マップス氏はまだ、ドイツ原発の擁護派だった。全國17の原発のうち5基がバーデン州にあり、州の重要なエネルギー供給源である。ポルシェとベンツを生み出した場所で、核エネルギーに取って代わるような「安価でクリーン」なエネルギーは、他にはないとマップス氏は考えていた。CDUの長い統治の歴史のなかで、核エネルギーに問題があると思った州首相は一人もいなかった。
マップス氏の顔が選挙の宣伝用にバスに印刷されている。彼は以前、記者に対し、この選挙のために1年間準備したと語っていた。教育、経済、労働力市場などは重要な問題だったが、原発のことは考えていなかった。宣伝用のポスターはずっと前に印刷し終え、パンフレットも數十萬冊ある。「3月12日日曜日15時36分、その瞬間、問題が起きたことを知った」とマップス氏は語る。それは福島原発で最初の爆発が起きた時間だ。「福島」、2週間前なら読み方さえ分からなかったこの日本の地名は、一夜にして政治家たちの話題の中心になった。
核の脅威は世界中に瞬く間に広まり、緑の黨はこの機に乗じて、再び聲を荒げ始めた。緑の黨はずっと反核を主張してきたが、CDUの妨害に遭っていた。黨は「ドイツ國內の老朽化した原発は未だに稼動しており、いつ爆発するか分からない時限爆弾だ。日本の今日の事故は、明日のドイツにも起こりうる」と主張した。これを受け、CDUは大急ぎで老朽化した7基の原発を停止する処置に踏み切った。
事件が発生してからマップス氏はいたるところで「核の大災害」の聲を耳にするようになり、彼の宣伝用のポスターなどは全てゴミの山になってしまった。日本の震災後5日目、CDUは新しい宣伝のスローガンを準備し、「責任を持って選挙活動を行い、國民の不安を取り除くことを最優先し、核エネルギーからいち早く脫卻できるよう努力する」と主張した。 政府によって稼動停止した原子爐には、バーデン州の2基が含まれていた。マップス氏は原発擁護派から反対派に回るしかなかった。彼の演説は必ず、「福島」という聞きなれない地名から始まり、自國の問題へと展開していった。しかし、國民は彼には同調せず、支持率は數日のうちに地の底まで落ち、ライバルである緑の黨と社民黨の支持率はすさまじい勢いで上がっていった。
バーデン州の経済成長は國內トップ、失業率は最下位、負債額はほぼゼロで、それはCDUの業績とも言える。しかし、日本の問題が、この州の投票結果を大きく左右してしまった。
「バーデン?ヴェルンテンベルグ州」、この日本人には難解な名前の州。その州で58年間トップに立ち続けた政黨と州首相は、日本のせいで、27日の選挙で政権の座を追い払われたのだ。
「中國網日本語版(チャイナネット)」 2011年3月28日