ウィルソン?ミスカンブル神父の著「THE MOST CONTROVERSIAL DESICION最も議論のある決斷」
もし米國の公民が戦後、自分たちの大統領は自らの良心から原爆投下を拒絶し、そのために數十萬の國民の軍隊が窮鼠貓をかむ敵と組み打ちしたことを知ったとすれば、巻き起こるその大衆の憤りはいかばかりか、まったく想像できない。
◇第2次大戦後に再認識のうねりが
1953年、米國のトルーマン大統領は、英國大使館主催のチャーチル首相を歓迎する夕食會に出席した。宴たけなわ、チャーチルは突然、トルーマンに1つの問題を提起した。「われわれが神を前にして、日本に原子爆弾を投下したこのことで自らが果たした役割を説明しようとするとき、心はそれに答える準備ができているだろうか」。?ウオールストリート?ジャーナル?が伝えた。
ウィルソン?ミスカンブル神父がその著「THE MOST CONTROVERSIAL DESICION最も議論のある決斷」で敘述した場面である。トルーマンはこの問題を非常に好まず、すぐに話の腰を折ったという。しかし、彼が間違いなく天國で1つの理にかなった説明をするとすれば、この小書に記載された文字は、簡明すぎていても説得力はある。
1945年8月に原爆を投下したとき、トルーマンの決定はいささかも議論されることなく、同盟國側のほぼすべての人に支持された。この核攻撃によって直ちに5000萬の命を奪い去った戦爭が終結するからだ。しかし、戦火が消えると、広島と長崎この2都市の21萬の日本人を殺した行為が問いただされるようになった。その後の數十年、「原子爆弾を使用する必要はなかった」と考える人が著実に増え、批判の聲が後を絶たなかった。
◇原爆使用しない代価はより大きい
本書の作者、ミスカンブル氏はノートルダム大學歴史學部の教授であり、神學と道徳の知識に精通し、政治と軍事の政策決定プロセスも熟知している。彼はわれわれに指摘しているが、トルーマンが大統領就任中、米軍の戦闘機は東京や京都などで通常爆撃を実施し、同じように十數萬の日本人が亡くなっていても、外部から非難はむしろかなり少なかった。同時に、日本軍の前線での狂気じみた抵抗も同盟軍に極めて多くの死傷者をもたらした。そのうち硫黃島の死傷者は2萬6000人、沖縄は7萬人に上る。後に第31代大統領となるハーバート?フーバーは、このような戦爭の先例を引用し、通常の方法で日本本土に進攻すれば、50?100萬の士官と兵士が命を落とす可能性があると、トルーマンに注意を呼びかけた。軍側が出した予測數字と大差ない。