資料寫(xiě)真:軍服を著用して靖國(guó)神社を參拝する日本の庶民
その上、日本侵略の最大の被害者である中國(guó)はサンフランシスコ講和條約に調(diào)印していないし、それを承認(rèn)していない。野田氏の「A級(jí)戦犯は戦犯ではない」という発言は「白馬は馬に非ず」と言うのと同じくらいばかげている。
サンフランシスコ講和條約は米國(guó)が殘した冷戦の産物であり、釣魚(yú)島(日本名?尖閣諸島)問(wèn)題にも伏線を敷いた。1948年以降、米國(guó)は國(guó)民黨が大陸を失いかけているのを目にし、日本を極東の共産主義の防波堤にするため。日本に対して寛大に対応し、最大の「戦犯」である裕仁天皇への責(zé)任追究を放棄したばかりでなく、靖國(guó)神社を保留し、東京裁判も竜頭蛇尾に終わり、日本軍の中國(guó)における暴行は筆紙に盡くし難いが、中國(guó)侵略軍の総司令官、岡村寧次、731部隊(duì)の主犯、石井四郎ら戦犯は何ら処罰を受けなかった。米國(guó)はまた日本が全國(guó)的に「戦犯赦免運(yùn)動(dòng)」を展開(kāi)するのを黙認(rèn)。1953年、刑死した戦犯を「公務(wù)死」扱いにし、1956年3月にA級(jí)戦犯を釈放、1958年5月にBC級(jí)戦犯を全員釈放した。
米國(guó)が誤った行為を制止しないために、日本の右翼は侵略を否定し、戦後60年経った今でも、野田財(cái)務(wù)相のように「A級(jí)戦犯は戦犯ではない」などと気炎を吐く者がいる。
?中國(guó)網(wǎng)日本語(yǔ)版(チャイナネット)? 2011年8月19日