菅政権はもともと東日本大震災前にすでに危機狀態にあったが、突然発生した災害によって延命した。また、黨內の政治勢力の闘爭も一時停止し、協力して災害支援に向かったため、菅氏も今まで首相の座を存続し得た。だが、その後の原発事故や災害救助の処理での不手際や政治獻金などの問題で、政界、國民の不満が呼び起こされることとなった。
高洪氏は、菅氏のもう一つの弱點はその権力依存體質にあるという。おそらくその出自に関係するのだろう。また、「これまでの數人の首相経験者は全員政治家の親を持ついわゆる二世議員だったので、権力を手放すことに躊躇がなかったが、菅氏は一般家庭の出身なのでやっと手にした権力を手放しがたかったのだろう。」という。
◇菅政権で中日関係は大きく後退
高洪氏は、菅氏の任期中に中日関係は「大きく後退」したという。中國関係問題の処理で、菅氏は鳩山氏、小沢氏の「対極」に向かってしまった。
2010年9月、中國と日本との間に釣魚島漁船衝突事件が勃発した。日本側は中國船の船長を逮捕し、日本國內法で処罰すると宣言した。高洪氏はこれ以前にも類似の事例は多數発生していたが、日本側が釣魚島問題をこのように強行な態度に出て、事件を悪化させたのはこれが初めてだったと語る。
この後、菅氏は対中関係の修正を試みたが、最近の中日の民間感情調査を見てもわかるように、中日関係は依然として冷え込んだままだ。日本の次の新しい首相は菅氏の中日関係問題の処理から教訓を得て欲しいと語った。
?中國網日本語版(チャイナネット)? 2011年8月26日