世界の注目する中共の第18回黨大會が來週の木曜日に開幕する。中國は上から下まで、黨大會に向けた各種準備のピークに入った。黨大會を重視する以上、準備も入念だ。北京など各地の警察當局は黨大會期間の治安確保を誓っており、北京ではボランティア100萬人余りが治安活動に參加する予定だ。(環球時報社説)
ネットではこうした入念な準備に異議を申し立てる人もいる。今はこうした異論も容易に耳に屆く時代だ。だが準備作業は引き続き計畫通り進められている。それほど入念に準備せず、もう少し手を緩めるべきではとの聲があるが、これは中國の社會ガバナンスの問題が大きく、第18回黨大會の核心的內容とは無関係だ。
第18回黨大會は非常に重要だ。中共指導者の世代交代が完了するだけでなく、今後10年間の改革の方向性と重大な國策が決まる。長い年月をはさんで開催されるこの大會の重要性は中國の方式で社會各層に伝えられ、一部では一定の「緊張感」すらもたらしている。この過程については政治的手配によって全ての段階をつなぐことは難しく、むしろ國家の真実の狀態の現れであるといえる。
第18回黨大會に関心を持っているのは上層部だけだとの聲があるが、それは違う。実は民間の関心も同様に高い。今年に入り民間のいたるところで第18回黨大會について議論が交され、経済?社會のリズムにさえ黨大會との黙契的な相互作用が見られる。第18回黨大會の成功は絶対に中國社會の本流の願望だ。
第18回黨大會については、いい加減な準備で済ませるよりも、良好な雰囲気をつくり、順調な開催を確保することの方が、現在の中國において自然なことだと言えよう。これは中國の政治的伝統、さらには社會的、文化的伝統の一部なのだ。北京の警察當局は第18回黨大會期間に大変多忙になることを2、3年前には予想していただろうし、他の省や直轄市の人も黨大會期間は上京時の管理がいつもよりやや厳しくなることを予想していただろう。こうしたことに特に不適応感を抱く人が少數であるとは限らない。