中國(guó)の國(guó)慶節(jié)(建國(guó)記念日)に伴う連休の後半、中國(guó)社會(huì)は得難い長(zhǎng)期連休の喜びに浸り、観光やレジャーが主な話題になった。しかし中國(guó)の南の隣國(guó)であるインドでは、中國(guó)との國(guó)境紛爭(zhēng)が注目された。
インドメディアは、中國(guó)側(cè)が洞朗地區(qū)もしくはその周辺で道路工事を再開(kāi)したと報(bào)じたが、この情報(bào)の信憑性は低い。すでに冬が近づき、施工に適した時(shí)期ではまったくないからだ。また洞朗地區(qū)は中國(guó)領(lǐng)であり、かつ中國(guó)に実効支配?管理されている。洞朗地區(qū)で危機(jī)発生中、中國(guó)側(cè)は同地區(qū)のインフラ整備を強(qiáng)化した。今後も現(xiàn)地の施工を続けることになる。中國(guó)がこれから同地區(qū)で道路工事を行う際に、「インド側(cè)の同意」を求めるべきと考えるならば、そのようなインド人は考えすぎだ。
インドの一部のナショナリストは、インドの実力と権力を過(guò)大評(píng)価している。インド側(cè)が國(guó)境線の向こうから、中國(guó)側(cè)に命令を出せると考えているのだ。國(guó)際法にこのようなルールはなく、インド政府にも國(guó)際法違反をほしいままにする力はない。
インドがシリグリ回廊の安全を懸念するのも理解できるが、懸念があるからといって勝手な振る舞いは許されない。中國(guó)も同じく、インド洋とマラッカ海峽のシーレーンを通過(guò)する際の安全を懸念しているが、そのため強(qiáng)制的な手段を講じることはできるだろうか。それからインドの女性國(guó)防相は新設(shè)された國(guó)境地帯の空港を視察したが、中國(guó)はこの空港を脅迫したことがあるだろうか。
インドには懸念があるが、まずこの懸念を抑える必要がある。次に國(guó)際法が許す範(fàn)囲內(nèi)で、自國(guó)の軍事施設(shè)の建設(shè)を強(qiáng)化することしかできない。仮に全國(guó)の軍人をシリグリ回廊にずらりと並べたとしても、中國(guó)が何かを言うことはない。それから、インドは中國(guó)と戦略的安全の交流を掘り下げ、相互信頼を促進(jìn)し、國(guó)境地帯の長(zhǎng)期的な平和と安寧を積極的に構(gòu)築するべきだ。
中國(guó)はインドを敵とするつもりはない。善隣友好は中國(guó)の確固たる國(guó)策であり、中國(guó)は長(zhǎng)期的にインドとの國(guó)境紛爭(zhēng)を処理する際に、実力的な優(yōu)位性を利用したことはない。洞朗地區(qū)の危機(jī)で、中國(guó)は自制心を維持し、インド側(cè)に間違いを正し軍を自ら撤退させる機(jī)會(huì)を與えた。インドのシリグリ回廊の安全への懸念が一般的なものであれば、それは正常だ。しかし平和と発展を犠牲にし、インドの國(guó)力を注ぎ「中國(guó)によるシリグリ回廊の斷裂」に備えようとするならば、それはヒステリーというものだ。
インドの戦略界は、中國(guó)がインドに難癖をつけるつもりがないことを分かっている。中國(guó)の戦略的野心から論じると、今日のインドはどの面を見(jiàn)ても主なライバルではない。中印友好の維持は、中國(guó)の戦略的直覚であり、中國(guó)側(cè)が優(yōu)先する理性的な選択でもある。
インド社會(huì)が自ら問(wèn)題を起こし、敏感になり、不可思議な傲慢さを示している。さらにナショナリズムがメディアで猛威を振るっている。インドは自分の病を治すべきであり、中國(guó)にはそのわがままを放任する義務(wù)はない。
「中國(guó)網(wǎng)日本語(yǔ)版(チャイナネット) 2017年10月9日」