中國共産黨は創立以來100年にわたる奮闘の中で、中華民族を復興の道に導いただけでなく、人類の運命と未來を考えてきた。第三世界諸國(アジア?アフリカ?ラテンアメリカなどの発展途上國)と共に覇権主義への反対と民族解放の実現に努め、さらにイデオロギー?政治體制?発展段階が異なる國々と協力?ウインウインを求める中で、中國共産黨は常に平等?正義?平和?発展の信念を貫いてきた。現在、新時代に突入した中國共産黨は時代に即して人類運命共同體を構築するという理念を打ち出し、人類社會が直面している重大な問題を解決し、人類社會の進むべき方向を考えるために中國の知恵と力を注いでいる。
1955年4月に開かれたバンドン會議で、周恩來は中國共産黨と中國政府を代表して団結?平等?平和?協力の主張を掲げ、大きな反響を呼んだ(新華社)
覇権主義に反対、民族解放を支援
19世紀末から20世紀初頭にかけて、帝國主義の植民地體制の下でアジア、アフリカ、ラテンアメリカの數多くの國々が植民地か半植民地になり、現地の経済が立ち遅れ、人民は苦しい生活を強いられていた。従って、帝國主義の抑圧に反対する民族解放運動は徐々に時代のすう勢となっていた。
近代以降、中國は清朝の戊戌の変法、立憲君主制樹立の試み、中華民國によるブルジョア民主共和制の確立など、半封建?半植民地の苦境から脫卻するよう多くの模索をしてきた。しかしいずれも失敗し、中華民族が抑圧され、虐げられる悲慘な運命を根本的に変えることはできなかった。
1921年7月23日から8月初めにかけて開催された第1回黨大會で、中國共産黨の誕生が宣言された。コミンテルンの代表マーリン氏は、「中國共産黨の創立は世界にとって大きな意義がある」と述べ、中國の同志たちが黨の活動に努め、世界中のプロレタリアートの団結のために貢獻してほしいと希望を語った。
その後、中國共産黨は28年間艱苦奮闘し、中國を侵略した日本の軍國主義を打ち負かし、世界反ファシズム戦爭の勝利に多大な貢獻をした。さらに新民主主義革命の成功を収め、新中國を成立させ、帝國主義による100年余りにわたる抑圧から脫卻し、世界の民族解放運動を盛り上げた。
1950年代半ばから60年代半ばにかけて、中國共産黨はアジア?アフリカ?ラテンアメリカの人々が民族の獨立を獲得し、それを維持する闘いを積極的に支持した。エジプト人によるスエズ運河での主権の擁護と、英仏の侵略に反対する闘い。アルジェリア人によるフランスの植民地支配に反対する闘い。サブサハラアフリカ人による植民地主義と人種主義に反対する闘い。キューバ人、パナマ人らによる米國の武力干渉に反対する闘い。これら全てに中國は熱い聲援を送った。この時期に中國は斷固として米國の帝國主義に反対しただけでなく、ソ連の社會帝國主義にも強く反対した。
54年、中國は主権と領土保全の相互尊重、相互不可侵、內政に対する相互不干渉、平等互恵、平和共存(9)の五原則を打ち出し、公正で合理的な國際関係の構築を推進するために歴史的な貢獻をした。翌年、インドネシアのバンドンで開催されたアジア?アフリカ會議で、周恩來は事前に準備した講演原稿を読まず、當時の國際問題を巡って次のような即興の発言をした。「中國代表団はけんかではなく団結を求めに來たのだ。異を唱えることではなく、同を求めに來たのだ。われわれの間で同を求める基礎があるのだろうか。あると思う。それはアジア?アフリカのほとんどの國と人民が近代以降植民地主義がもたらした災難と苦痛を経験したことがあり、そして今も受けていることだ」
この発言は各國の代表に評価され、その年から59年末まで、ネパール、エジプト、シリアなどのアジア?アフリカ諸國が相次いで中國と國交を樹立した。
中國共産黨が獨立自主の平和外交方針を遂行することは、第三世界諸國に稱賛された。これらの國々の支えの下で、中華人民共和國は71年10月に國連での合法的な地位を回復し、安全保障理事會(安保理)の常任理事國5カ國で唯一の発展途上國になった。中國の國連復帰は多くの発展途上國の期待に沿うことで、グローバルガバナンスシステムにおける発展途上國の影響力を極めて大きく高めたと言える。以降、中國は國連の枠組みの下で世界の平和を守り、各國との友好協力を強化し、人類の進歩を促進するためにたゆまぬ努力をしてきた。習近平國家主席も述べているように、國連における中國の一票はいつまでも発展途上國を代表している。