◆経済発展が文化の繁栄を牽引
日本の文化産業(yè)がこれほど繁栄している理由としては、まず政府が積極的に政策支援を行っていること、そして経済?社會発展の客観的需要があることがあげられる。
日本は戦後、國民の基本的な物質的生活條件が満たされると、國民の消費はより高いレベルを目指し、精神的欲求を満たそうとするようになった。これに伴い文化産業(yè)が繁栄の時代を迎えた。同期間の文化産業(yè)の大発展は、実質的には社會が豊かになりゆくプロセスを反映したものである。文化産業(yè)の発展は、これらのモデルチェンジの象徴的な出來事だ。
日本経済の高度成長期は、1950年代の中頃-80年代である。1960年、日本の1人當たりの平均収入は26萬円だったが、1980年には167萬円に、1990年には272萬円に達した。80年代初頭、日本は分裂中のドイツを追い抜き、世界第二の経済大國となった。
日本政府総務庁の統(tǒng)計によると、1965年-1990年、日本人の個人の教養(yǎng)や娯楽に用いる費用が急増し、いわゆる「レジャー消費」が年間平均10萬円から90萬円に増加した。その當時、日本の新聞、出版、テレビ、博物館等の業(yè)界が急激な発展を開始した。新聞の発行部數(shù)は、1960年の2444萬部から、1980年には4639萬部に増加した。書籍発行部數(shù)は、1965年の16億2000萬部から、1980年には43億2000萬部まで増加した。1人當たりの書籍購入にかける年間費用は、1965年の1萬円弱から、1990年の約5萬円まで増加した。また映畫?コンサート鑑賞にかける1人當たりの年間費用は、4000円未満から3萬円まで増加した。日本の各大手テレビ局も、この時期に現(xiàn)在の規(guī)模を形成した。
新聞メディアや出版業(yè)界の発展にやや遅れたのが博物館?美術館である。萬博を開催した1970年より、日本の博物館?美術館の數(shù)が急増した。80年代後期、日本の資産家が國際市場で各種美術品を買いあさった光景は、今も記憶に新しい。バブル経済による投機的な目的もあったが、日本國內の博物館?美術館數(shù)の急増による客観的需要が存在した。