魏振基氏が生前に交わした書簡=9日撮影
中華民國時代の砲艦「中山艦」に乗っていた故?魏振基砲撃軍士長(1906-1996)の遺品がこのほど、遺族の手で湖北省武漢市の中山艦博物館に寄贈された。遺品には中山艦に関する書簡50通、手記32枚、海軍服役時に著ていた衣服などが含まれる。
魏振基氏は馬尾海軍訓練営を卒業し、中山艦の金口激戦で砲撃軍士長に任命された。中山艦の沈沒時に生き殘った18人のうちの1人。
中山艦は1910年、清國政府が日本に発注した砲艦。その後、中華民國政府に引き渡され「永豊」と命名。孫文がこの艦に乗り、革命運動を指揮したことから、「中山艦」と改名された。1938年、日本軍機の攻撃を受け長江中流の武漢で沈沒。1997年に引き上げ後、修復作業を経て現在、武漢にて展示されている。(編集YT)
「人民網日本語版」2011年3月10日
魏振基氏が生前に殘した手記=9日撮影
魏振基氏が海軍服役時に著ていた衣服=9日撮影