この言葉は、魯迅の『狂人日記』の最後のくだり『子供らを救え!』の悲鳴を連想させます。大江氏は明らかに、未來の象徴である「まだ生まれて來ない子供」が、もう「人が人を喰う」ような殘酷な社會に出會わないよう望んでいます。
『憂い顔の童子』では、「妥協や妥協を望むことを知らず、次々と肉體や心に傷を抱える憂いの騎士、主人公古義人は、病院のベッドで深い昏迷に陥りながらも自分を傷つかせてくれたこの世界の和解と平和を祈ります。
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北京大學講演會會場にて。北京大學の呉志攀副學長(右)、通訳を務めた北京大學日本語學部の翁家慧講師(左)
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『さようなら、私の本よ!』(日本語版)のカバーの赤い帯には「絶望から始まる希望」と書かれています。これは魯迅の「絶望は虛妄だ。希望がそうであるように」に対しての新しい見解です。約50年前に発表した『奇妙な仕事』と比較すると、絶望の中で積極的に未來の希望を探し求め、ついに『﨟たしアナベル?リイ』では、星のきらめく天國にたどり著いて、絶望のうちにある人々に希望をもたらしました。
なぜなら、大江氏は、「魯迅が希望はあるのだ、と保証してくれていることではないか?」(『大江健三郎文學研究』10頁、天津百花文蕓出版社、2008年刊)と深く信じており、また米國人の文學研究者エドワード?サイードが「世界の人間が、このままやってゆけるはずはないのだから、長い時がかかるにしても、パレスチナ問題は解決する」(同書11頁)とパレスチナ問題についても率直に発言しているからこそ、大江氏が魯迅文學に邂逅してからちょうど60年となる時期に、魯迅が底無しの絶望の中に探し求めても得なかった希望と光明を、とうとう『﨟たしアナベル?リイ』によって実現したのではないでしょうか。
大江作品の持つ獨特の世界性と複雑性は、作品をより難解なものとしている。日本での大江作品の読者人口は決して多いとは言えないが、中國での現象はまったく異なり、大陸や臺灣でも大江作品の読者は年々増加しているという。中國語翻訳本の出版事情を見ると、大陸だけで2008年には9作品がすでに出版されており、2009年には現段階(5月時點)で6作品がさらに翻訳出版されることが決定している。
2008年度、大陸地區で『おかしな二人組(三部作)』(『取り替え子』『憂い顔の童子』『さようなら、私の本よ!』)『「自分の木」の下で』『緩やかな絆』『恢復する家族』『大江健三郎 作家自身を語る』『ヒロシマ?ノート』『個人的な體験?萬延元年のフットボール』の九作品が簡體字で翻訳出版されています。臺灣地區では、繁體字による『さようなら、私の本よ』と『大江健三郎 作家自身を語る』が出版されています。2009年度は私が把握しているだけで、大陸地區ですでに簡體字版で出版済のもの、今後予定している作品は、『﨟たしアナベル?リイ』『沖縄ノート』『「新しい人」の方へ』『読む人間 読書講座』『政治少年死す』『同時代ゲーム』があります。また臺灣地區繁體字版では『﨟たしアナベル?リイ』『沖縄ノート』『読む人間 読書講座』があります。このように、出版事情から見ても、大江文學が中國で広く注目されているのは事実と言えるでしょう。
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すでに出版された大江作品の中國語訳の一部 |
実は、1995年から數年間、大陸地區で大江作品は翻訳出版ブームでした。これは大江氏が1994年にノーベル文學賞を受賞されたことと関係があります。読者は、過去にほとんど翻訳出版されていなかった大江作品を急いで読みたいと思いましたが、このブームはすぐに収束してしまいます。主な原因として、多くの読者が大江作品は読むのが難しいと考えたこと、そして當時の翻訳本の質と大きな関係があります。
翻訳者の大部分は、大江氏自身とその作品についての知識を持ち合わせておらず、大江作品の基礎研究ならび複雑で難解な大江文學の翻訳は話になりませんでした。この翻訳の質の問題以外に、當時は中國における大江文學研究もまた、少ないものでした。中國の日本文學研究の権威、葉渭渠教授は、その現狀を「わが國の大江文學に対する研究はほとんど空白の狀態だ」と指摘しています。
以上、二つの原因により、大江文學は中國大陸地區でのブームは數年間で収束してしまいます。
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