(~ウェンナン先生行狀記~)
南京大學日本語學部専家 斎藤文男
◇南京の教え子と新宿で出會う◇
夏休みに久しぶりで日本に帰國した。數(shù)日後、新宿で友人と待ち合わせをした。自宅を出て私鉄の西武新宿線に乗った。終著駅の西武新宿駅に著くころ、「斎藤先生!」と聲を掛けられた。驚いて振り返ると、南京大學大學院で1年生のとき擔當した院生の卒業(yè)生だった。日本の大學院で博士號取得を目指しているという。中國で教えた學生と日本で再會できるのは、ナノ(10億分の1)やピコ(1兆分の1)の確率かもしれない。待ち合わせの時刻が迫っていたので、彼女とゆっくり話ができなかったのは殘念だった。この出會いは、自宅に戻ってから、學生とのこれまでの交流を振り返るきっかけになった。
◇悩みや相談、メールで交流◇
大學教育では、教室で學生と個人的な話をする時間はほとんどない。高校(高級中學)までは、先生と學生は、個人的な指導や接觸する機會がかなりあったようだ。大學では卒論指導で擔當となった先生と學生が接觸する以外、めったに個人的に話し合う機會がないのは殘念だ。
しかし、今はネット時代である。學生はメールでさまざまな悩みや相談、意見、要望などを送ってくる。メールは卒業(yè)後も続き、メールの內(nèi)容も、人生の悩みや將來の相談など複雑になってくる。日本に一時帰國中、卒業(yè)生と“ピコナノの再會”後、學生とやり取りしたパソコンに殘っているメールを読み返し、これまでの交流を追憶した。
寫真①:南京と日本を行き來するたび、優(yōu)しく見送り、迎えてくれる富士山(靜岡県上空の機上から)
寫真②:北海道への留學生からは、大學校內(nèi)で見事に黃葉したイチョウ並木の寫真が添付されていた
寫真③:日本への留學生から、メールに添付されてきた長野県白樺湖での記念寫真(「小指橋」という名前なので、みんなで小指を立てました、と説明にあった。)
寫真④:南京大學院生の教え子と出會った東京?新宿の高層ビル街(こんなに広い地域でよくも再會できたものと思う)
寫真⑤:埼玉県內(nèi)にある自宅近くで行われた「夏祭り」(夏休みで一時帰國していたら、南京と學生たちが無性に戀しくなった)
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