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◇まほらまの南京生活⑨◇~日本で學生を追憶~ |
発信時間: 2009-11-02 | チャイナネット |
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『髪が氷になってびっくりしました』 『先生、ご無沙汰しておりますが、お元気ですか。北京はとても寒くなってきました。さっき共同浴室でシャワーを浴びてきたら、寮に帰る途中、髪が氷になってしまってびっくりしました。こんな経験初めてでした。……今私の部屋は暖房が良く効いて、服一枚で十分です。こんな時、いつも故郷にいる家族をとても懐かしく想って、涙が零れそうになります。ホームシックになっただけでなく、家は寒さが北京ほどではないですが、暖房がなくて、部屋ではストーブがあっても、普段は藁の燃えかけの灰を用いるだけで、春節になって家族団らんの時しか、石炭を使わないという両親の苦心を、しみじみと感じてじんときます。』 北京の大學院に進學した彼女は、初めて北京の冬を迎え、故郷が懐かしくなり、將來の進路や現在の學習に悩んでいるようだった。 『いつまでも悩まないで前に進まないと』 『將來、両親を幸せにさせたいと思っていますが、自分がいったいそれだけの力があるのかどうか疑ってきました。でも、両親は私が毎日を楽しめるかどうかが気になっていることでしょう。だから、いつもつまらないことに悩まず、前へ前へ進まないと。』 メールは1300字ほどの長いものだった。 『“冬來たりなば、春遠からじ“です。冬の後には必ず春がやって來ます。今は、勉學に集中することが、將來、両親を幸福にする道につながります。北京を故郷として懐かしく想う人もたくさんいるのです。せっかく北京にいるのですから、北京生活を楽しみながら勉強しましょう。……。』 いろいろ勵ましの言葉を書いていたら、私も同じほどの長さのメールになってしまった。 彼女からは、數カ月ごとにメールがきた。 『黃砂の初體験も穏やかに』 『北京は今日ちょっと曇っていますが、風が前より大分治まってきてよかったです。一時黃砂がすごかったです。外に出るのも嫌になるほどでした。ちょっと出て帰ってきたら、なんだか髪の毛から足まで埃や砂を被ったように感じました。……でも、嫌な思い出であっても、初めての體験だと思うと、また気持ちが穏やかになります。もうすぐゴールデンウィークが訪れてきますが、5月になればよくなるそうです。』 暖かくなるにつれ、北京生活にも慣れてきたようだ。その後も、「教師の日」「國慶節」「春節」など折に觸れてメールが屆き、友人ができたことや、北京市內を見學したことなどを報告してきた。大學院を卒業したあと、日本に行き日本の大手企業に就職した、と去年7月、ネットカフェから連絡があったあとは1年間以上も音沙汰がない。仕事が忙しくなったのだろうか。 『南京での四年間が夢の中に』 やはり北京の大學院に進んだ別な學生からは、院生生活1年間の報告がまとめて送られてきた。 『北京で生活していると、時々、南京での四年間を思い出します。南京での面白いことや哀しいことが、夢の中によく出てきます。……南大の作文の授業の時、いつも先生が私の作文の文末に書いてくださった感想を思い出しています。先生の授業から日本的な物の考え方と仕事のやり方を理解できるようになりました。』 3年生の時に擔當した「寫作」の授業では、作文を添削したあと全員に200字前後の感想を書いて返卻した。かなりきつい作業だったが、卒業後、思い出してもらったのは嬉しかった。彼女は4年生の前期、後期とも私の授業は皆勤だった。他の學生は就職活動や會社実習、卒論準備などで休みがちだったが、彼女は最後まで私の話を熱心に聴いてくれた。 卒業前の期末試験で出題した「日中関係將來の理想像」の小論文は、95點の最高點だった。理想的な日中関係の將來像として、「信頼と寛容で結ばれ、政治、経済関係はEUのような共同體を組織し、文化、社會生活では、心を広く開いて、互いに良い部分を見つめあって、ともに発展して行こう」という內容であった。現在、鳩山由紀夫首相が提唱する“東アジア共同體”構想を先取りしたような立派なもので、日本人の大學生でも及ばないしっかりした日本語の文章だった。3年生時の「寫作」、4年生時の「日本時事」の授業が実った結果だとしたら、こんなに嬉しいことはない。 |
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