清水さんは中國(guó)の政治に精通していたが、東京新聞を代表する社説を書く立場(chǎng)にあれば日本國(guó)內(nèi)はもちろんアメリカ等の國(guó)際問(wèn)題に対しても獨(dú)特の見(jiàn)解を持つ必要がある。中國(guó)専門家としてスタートしながらその役割をきっちりと果たすのは並大抵のことではない。
2011年、日本記者クラブでお會(huì)いしたのが最後になった。濃い目のほろ苦いコーヒーを飲みながら、話題は中國(guó)経済に始まり徐々に日本経済へ移っていった。民主政権後の政策に対する清水さんの分析は実にすっきりと理解できる。民主黨の経験不足というよりも黨內(nèi)部のアメリカ志向とポピュリズムが理由で、今後數(shù)年內(nèi)日中関係に転機(jī)は訪れないとのことだ。これを聞いて民主黨に対する過(guò)度の期待は徐々に消えていった。一度の會(huì)話から私の日本政治に対する判斷に影響を與える——清水さんはその數(shù)少ない人物の1人だった。
殘念なことに清水さんは遠(yuǎn)くに旅立ってしまった。あちらの世界からどんな風(fēng)にこの世の中を眺めるのだろうか。腹を立てることも多いかもしれないが少なくとも病で苦しめられることはないだろう。
清水美和さん、どうぞ安らかにお眠りください。
?Billion Beats 日本人が見(jiàn)つけた13億分の1の中國(guó)人ストーリー?より
?中國(guó)網(wǎng)日本語(yǔ)版(チャイナネット)? 2012年5月22日