東日本大震災(zāi)を経験して見えてきたもの
何らかの災(zāi)難に見舞われた時、人々を助けるために自らの知識と力をどのように活用するかをいつも考えると賀さんは語る。これは、2011年の東日本大震災(zāi)での経験が関係している。
地震當日、公共交通機関は完全に麻痺したため、賀さんは治療を終えた患者のために車を出して家まで送った。道路は渋滯がひどく、普段なら10分ほどの距離が數(shù)時間かかった。日が暮れ始めても余震は続き、のろのろ進む車の列が続き、道には徒歩で帰宅する人々が溢れていた。言葉もなく黙々と家路を急ぐ人々を見、「世界の終わりとはまさにこういうことだ、と思いましたね」と賀さんは述懐する。帰宅した時にはすでに深夜になっており、水も電気もガスも止まり、真っ暗な家の中で経験したことのない恐怖を感じたという。
賀さんの著書のひとつ『なおりますよ、ウツ』
その數(shù)日後、東京の狀況は次第に落ち著いてきたが、福島のような被災(zāi)地の狀況は日増しに厳しさを増していった。「避難所に身を寄せた人々は心身ともに大きな負擔を抱えている」と感じた賀さんは、福島で治療することを決意。福島出身の患者の力を借りて、ボランティアとして被災(zāi)地に赴いた。
「診察時間はとても短く、現(xiàn)地の狀況も悪かったので、私の治療が奏功したかはわかりません。しかし中醫(yī)での治療が被災(zāi)者にとっていささかの慰めになったり、中醫(yī)によるセルフケアをお教えできたことが多少なりともお役に立てていればと思っています」と當時を振り返る。震災(zāi)の3年後には『なおりますよ、ウツ』という本を出版し、福島県立図書館に寄贈した。図書館に宛てた手紙には、「心の燈を靜かに力強くともし、守り続ける」と書き、腕を常に磨き、治療の成果をあげることで患者を助けるという決意を表した。
中醫(yī)と漢方の融合でウイルスに立ち向かう
賀さんの技術(shù)は患者も認めるところで、その誠実な人柄は多くの人々に支持されている。日本で新型コロナウイルスの流行が始まった頃、患者は率先して賀さんが作ったチラシの配布を手伝い、英語が堪能な患者は英語版も作成してくれた。『コロナウイルスの感染や重癥化を未然に防ぐ!』も同様に患者たちの助けを借り、わずか3ヶ月で編集と校正を終え、出版となった。「感染が広がる今、この本はとてもためになる。一日でも早く出版すれば、一日でも早く必要な人のもとに屆く」と出版を手助けした患者は語る。
新刊について賀さんは「中國が中醫(yī)を利用し新型コロナウイルスの治療にあたって成果を上げていることは、日本ではあまり知られていませんので、書中でも採り上げています。また、予防と治療に効果がある漢方薬や、以前作ったチラシにも書いたセルフケアのコツも書きました。目的はただ一つ、日本の皆さんがこの本を読み、理解し、実踐することで、中國伝統(tǒng)醫(yī)學と中國文化に新たな理解を深めてもらうことです。もちろん、中日両國が中醫(yī)や漢方を組み合わせて新型コロナウイルスの予防や治療を行い、この難局を乗り越え、新たな解決策を見つけるための協(xié)力を行ってくれることを願っています」と語った。
落ち著いた中國レトロな雰囲気でまとめられた精誠堂の診療室。患者に中國文化の雰囲気を味わってもらいたいと、家具はすべて中國でオーダーしたものだという
(于文=文?寫真 一部畫像はネットより転載)
人民中國インターネット版 2021年5月27日