「80後(1980年代生まれの若者)」の住宅観を描いたドラマ「蝸居」に続き、「裸婚時代」が再びネット上で議論を呼んでいる。
「裸婚」というのは、マイホーム、マイカー、結(jié)婚式、結(jié)婚指輪、ハネムーンを全て省き、結(jié)婚証明書の9元だけを支払って結(jié)婚を済ませることを指す。中國のネット上には、「愛があればいいのだ」と言う人もいるが、大半の人は自らの體験から、これらの若者に対し、「甘く考えるな」と警鐘を鳴らしている。現(xiàn)代の中國人は年代や業(yè)界を越えて、若者が社會に進(jìn)出し、家庭を築く過程で現(xiàn)れる様々な問題に非常に高い関心を寄せている。
あるネットの調(diào)査によると、80%の男性が「裸婚」に賛成しているのに対し、70%の女性が「裸婚」には絶対に反対だと答えた。「安心感」は現(xiàn)代の中國人にとって一番の要求であるようだ。何を買っても高い、何をするにも難しい、何を見るにも煩わしく、どこへ行っても憂欝といった狀況の下、「住宅」は安心感を保証する第一の物質(zhì)であり、車は「メンツ」を保証する手段となっている。若者が本來持つべき自信は、現(xiàn)代のプレッシャーにより粉々に潰されてしまっている。
日本のドラマを見て育った日本人の私は、「裸婚」がちっとも恥ずかしい行為だとは思わない。逆にロマンティックであるとさえ感じる。二人が「何もない、誰も知らない」?fàn)顟B(tài)から、「蝸居(カタツムリの家=狹い家)」を借り、0から手を取り合ってカタツムリのようにゆっくりと成長していく。これは何よりも純粋で、ロマンティックな事である。