経営者は資本主義下においては収益に目の色を変えるのが普通だが、単純に経営成果(Performance 収益)のみに執(zhí)著するのではなく、その収益を生むための行動(dòng)成果(Maintenance 組織維持)に注目されたわけだ。
いかに大きな會(huì)社であっても、非力な個(gè)人が集まって組織力を発揮するのであるから、すべての力の根源は個(gè)人の成長にある。強(qiáng)権やカネで人を動(dòng)かすことはできるが、それは個(gè)人の內(nèi)発的な力ではない。
「いかに、個(gè)人の內(nèi)発的な力を発揮してもらうか」----マネジメントの要諦を単純に言えばこれに盡きる。つくづく危懼するのは、1990年代以降のわが國人事管理には「人」に対する思いが忘れられているのではないか。
たとえば、1960年代には「大きな顔をする部下を育てよ」といった。上司にお伺い立てず堂々と仕事をこなす人を育てようとしたのである。「大きな顔をする部下」というのを換言すれば《権限委譲》するのである。
上位ポストの仕事を下位ポストがこなすのだから、上位ポストの人はさらに新しい仕事に挑戦できる。部下にやらせて自分がラクをするという意味ではない。1960年代は技術(shù)未熟の面が少なくなかったが、自力技術(shù)を作ろうとして先輩方はおおいに善戦奮闘された。
1970年代には部下を「ほめて育てよ」というようになった。ピシピシ、ガツンとやって、「仕事は盜め」などと構(gòu)えていると、若い衆(zhòng)は乗ってくれない。きちんと教えることは教えて、認(rèn)めてあげなさいというのであった。《ヨイショ》すればいいと勘違いしたアホな管理職もいたが、この言葉の本願(yuàn)はよくよく「人を見なさい」というにある。